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あなたの笑顔にありがとう

「年いって年いって年いって、いっていっていってしもたけん、
ようけなこと忘れてますけど、
有り難うて、なぁんも不足はないんです」

上勝町鶯 中野フクヱさん 98歳

山肌に添って急カーブを何度かまわり込み、
いくつかの小さな集落を縫い、冬枯れの山を空へ空へと進む。
車一台やっとの道。どうぞ対向車が来ませんように。
窓を開けて走る。空気が次第に冷えてくる。
その清廉さが頬をペチペチたたく。
冷たさは増すけれど、登るほどに空は広くなる。
ずんずん太陽に近づいている、そんな喜びを感じながら、
たどり着いたフクヱさんち。
すばらしい山の眺めに向き合って、
その庭先はあたたかでたっぷりの日差しに充ちている。

中野フクヱさん、明治45年7月1日生まれ、今年99歳になる。
福原村の市宇から、高鉾村の鶯へ、
数えのはたちでじいちゃんのところに嫁にきた。
土を耕し、子どもを育て、ずっとずっとこの山で生きてきた。
8人の子どもはみんな彼女がその手で取り上げた。
へその緒を切り、産湯を使わせ、丹精した産着に愛し子をくるんだ。
生きるために必要なこと、およそすべてをその手で担ってきた。
みそに、しょうゆ、漬け物、自給自足が当たり前。

こ(*)とぼしの灯りの下で夜なべしてわらじも編んだ。

「終戦のあと何年か経って、電気が通ったときには、ほんまに嬉しかったです。
夜のわらじつくりもようできるようになりましたんです」
「ミシンが来たときもほれは嬉しかったです。早い、早い。早う縫える。
子どもらの学校へ着ていく服もきれいにでけるようになりました」

「そのうち、下からずんずん道がようなって 
車が通れるようになりました。
村の者はみな、道普請の出役をしたもんです。
あれからあと、舗装のときや補修のときには、
仕事させてもろて、現金収入はほんまに助かりました」

昭和30年をピークに、山の人口は減り続けた。
田んぼや畑を手伝ってくれた子どもたちも、一人また一人、山を降りて行った。
「みんなおらんようになってしもうて、ほらぁ、寂しかったです。
寂しいて困ったなあ、と思たけど、
ここには何も仕事がないからしょうがないですけんねえ」
「不便?不便や思たことないです。
山で生まれて山で育って、ここしか知らん、よそに行きたいとも思わんです」
75歳で「い(*)ろどり」を始めた。
「『いろに迷うてみ、何とも言えんでよ』と誘われて、
ほれもええなあと始めました。
自転車も自動車も乗ったことないけんねえ、
最初は下の農協まで歩いて持って行っきょったんです。
そのうち三輪を買うて一生懸命稽古して、一里の道もらくちんになりました。
みんな道のおかげじゃねえ。ほんまにいろに迷うてしもて、楽しかったです」
「11年前、じいちゃんが亡くなって、ほんまの一人になりました。
けんどね、長いこと生きてきていちばん嬉しいことがあったんです。
孫の一家が帰って来る言うてね。
夢かと思たけど夢とちごとったんです、夢みたいに嬉しかったです。
もったいのうてねえ、毎朝おてんとさん拝んでは有り難う言うてます」

「なぁんも不足はないんですけんど、ひとつだけ。
隣の空(*)地に行く道があったら、
じいちゃんの妹にたびたび会いたいなあ思います」
手押し車に右手で掴まり、フクヱさんは左手を振り振り見送ってくれた。
足るを知る美しき笑顔だった。

尾根続きにフクヱさんのじいちゃんの妹の空地が見える。
慎ましやかに陽射しを浴びて暮らしを営む人が、
美しき笑顔の人が、あそこにもいる。

* ことぼし(小燈し)/小さな器に油を入れ灯芯をつけた灯り具
いろどり/上勝町の葉っぱビジネス
空地(そらぢ)/山の上の人住むところ

 

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