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阪神大震災 その後

(甲南大学体育会サッカー部創立50周年記念式典に参加して)

事務局次長 小島 祥圓
平成12年10月の末、1通の電話をいただいた。
「こんにちは。お元気ですか。甲南大学サッカー部の桂です。」なつかしい声であった。
声の主は甲南大学体育会サッカー部桂監督であった。
甲南大学体育会 サッカー部桂監督
甲南大学体育会
サッカー部桂監督
 平成7年1月17日未明に発生した阪神淡路大震災は、徳島県でも震度5を記録する大きな地震であった。地震発生の夕方、池田協会長は復旧支援活動を行う決意を表明するとともに、緊急正副会長会、常任理事会、理事会を開催し支援活動を決定した。その支援内容は、6500万円を義捐金として支援させていただくとともに、ボランティア活動を行うことであった。当時まだ青年部は設立されていなかったが、池田協会長より「青年部の設立を事後承認するから青年部がボランティア活動を行うよう」指示をいただいた。早速各支部の青年部代表者を集め、「青年部救援団」を結成し、徳島県県土整備部(当時は土木部監理課)を通じて支援先を御影高校と決定した。ボランティア活動は、平成7年1月29日(土)から12回に亘って実施した。(支援活動については平成7年5月号全建設ジャーナルに記載しているのでご一読いただきたい)
 われわれの活動を聞き及んだ徳島県サッカー協会の逢坂監督(当時:徳島市立高校サッカー部監督:※)から、「神戸の甲南大学も著しい被害を被っておりサッカー部も同様である。部員の中には被災者となった方々や亡くなられた方々が大勢いる。しかし、これを乗り越え春の関西学生リーグ戦に参加するため合宿場所を探している。どうかご協力をいただけないか。」とお話をいただいた。神戸の現状を見ている者にとってはサッカー部の苦労を想像するに難しくはなかった。池田協会長は次世代を担う若人の申し入れを快く受け入れ、平成7年2月28日から8日間、川島支部青年部が受け入れの中心となり、徳島市営球場と鴨島町民グランドで合宿していただいた。その後7年間の甲南大学体育会サッカー部の活躍は関西一部リーグに昇格するなど目を見張るものであった。
 冒頭に述べた電話の内容は「サッカー部が創部して50周年になります。その式典に皆さんをご招待したい。当時お世話になったことは、その後のサッカー部にとってかけがえの無いものとなり、サッカー部の活躍の原動力となった。皆さんをお招きして感謝の意を表したい。」とのことであった。桂監督の話しを聞くうちに目頭が熱くなってきた。
現在の御影高校正門
現在の御影高校正門
 1月13日、神戸ベイシェラトンホテルで約300人が出席され式典は行われた。式典には当時ボランティア活動の中心となって活躍した南元青年部会長と出席をした。
 式典に出席する前にボランティア活動の拠点となった御影高校を尋ねた。7年前3000人もの人々が避難されていた体育館はそのままであったが、倒壊していた校舎は新しくなっていた。第4回目の支援活動の時、御影高校から卒業式会場の設営依頼があり中庭に会場設営を行った。体育館は被災者の方々でいっぱいだったからである。卒業式の新聞記事を読んだ時は我ながらお役に立てたなと思った。崩壊や倒壊していた周りの道路や建物も整備・新築され、何事もなかったようなたたずまいであった。グランドの脇に立って、"ここに簡易風呂を"、"ここで炊き出しを"と昨日のように思い出した。今グランドではラグビー部が練習試合をして学生生活をエンジョイしていた。
卒業式会場
工事用シートで設営した
中庭の卒業式会場
卒業式風景
平成7年の御影高校卒業式
ラグビー部の練習風景
ラグビー部の練習風景
平成7年救援活動風景
平成7年救援活動風景
50周年記念式典
50周年記念式典
 倒壊したビルや高速道路、寸断された道路や水道、ガス等の復旧に建設業が全力をあげて携わったことは言うまでもない。普段生活をする上ではあまり感じないことだが、われわれ建設業は、国民の生活をささえる社会資本整備を担っている基幹産業であり、特に公共施設は品質確保を最重要視したものでなくてはならないものと改めて痛感した。
 式典のご挨拶の中で、上中啓史郎サッカー部OB会長さんから、「阪神淡路大震災の時、当サッカー部は社団法人徳島県建設業協会皆さんのご支援により、徳島県の鴨島町において合宿を張ることができました。ありがとうございました。」とのあたたかい謝辞をいただいた。
 式典に引き続きレセプションが開催され、その中で50年を振り返るVTRが上映されたが、あの鴨島での合宿風景があった。
 和やかな歓談の最後に、桂監督の謝辞の中で、「50年の歴史の中には山あり谷ありでした。特にあの阪神淡路大震災は忘れることのできないものでした。学校施設もほとんどが被害を受けました。サッカー部の部員の中には亡くなられた方もいます。被災時に一度は関西学生リーグ戦の欠場も考えましたが、社団法人徳島県建設業協会の皆さんのご支援により合宿をすることができ、リーグ戦に出場することができました。ほんとうにありがとうございました。」との涙ながらのお言葉を頂戴した。
 甲南大学サッカー部の50年の歴史の中で、当協会が係わったのは僅か8日である。このことが同サッカー部にとってどれ程の意味を持っていたかは、想像を遥かに超えていた。上中啓史郎サッカー部OB会長さんは「あの震災を体験した者にとって、一生忘れられないものです。勇気づけられました。」と。感謝の気持ちを持ち続けていただいた桂監督や学生、OB、関係者の皆さんの思いは、十分に伝わってきた。現在の片人格形成教育が横行する教育にあって、学校教育本来の全人格形成教育の本髄を見せていただいた。
 現在はデジタルの時代だと言われているが、デジタルは0と1からなる世界である。確かにデジタルになって世の中は飛躍的に進んだ。しかし、そのデジタルを使うのはアナログの人間である。ヒューマンネットワークとも言うべき人と人とのつながりの貴さとともに、生きることの大切さを学んだ。一人には限りがあってもひとのつながりがあればどんな困難にも立ち向かうことができる。
 建設が築くものは、なにも構築物だけではない。それを土台として物流や人々の交流が始まり、社会や経済が発展していく。人をも育んでいく。地域や世代を越えたステージを創造するのが建設業ではないだろうか。
 ボランティア活動を通じて当協会もひとつになった。特に青年部活動の源はここにある。
※余談ではあるが、逢坂監督から申し入れのあった時は、ボランティアの準備に追われていた時であった。失礼ではあったが、お話を聞きながら各支部青年部からの引切り無しの電話に対応していた。そのような状況を見て逢坂監督から思いもよらぬ申し入れがあった。「徳島市立高校サッカー部員をいっしょに同行させていただきたい。被災者の皆さんにボランティア活動を行うことは、生きた社会勉強です。学校と父兄は説得します。」と。事実逢坂監督は学校と父兄の皆さんにお話をされご了解を取っていただきました。しかし、ボランティア活動はサッカー部の日程調整がうまくいかず実現はしませんでしたが、逢坂監督も教育者である。

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